令和になってから、免許センターが朝から行列だったようで。
ところで、なんでそんなに令和が好きなの??
確かに響きは良いけどね。
別に、免許の更新、今日じゃなくても良いよね?
しばらくずっと令和なんだし。
慌ててしなくても良いのに・・
なんてマコちゃんは思うのだが。
まぁ、色んな人がいるもんだ。
で、これこれ、やると思ったなぁ〜。
御朱印。
売っちゃうかぁ〜。
売っちゃうんだなぁ〜。
そして、
買っちゃうか〜。
買っちゃうんだなぁ〜。
そういう人もいるよなぁ。
まぁ、人それぞれ考えや判断があるでしょうけど、多くの人の神道の思想だと、恐らく、御朱印を売っちゃう人は
『穢れてる』。
買っちゃう人は
『穢れちゃう』
って、ことになるんだろうね。
神道では神の心と自分の心を照らし合わせて、悪いことをしてはならないとしているんだけども、その自分の心と神様の心は実は一緒。
分かるよね?
神様の心は自分が作り出しているからね。
なので、ある意味、自分の心は神様の心とも言えるんだな。
そもそも穢れとは何か。
穢れは『気(け)枯れ』、気が枯れた状態。
生命力が枯れた状態なんだ。
しかも人間が気が枯れた(穢れた)時は、様々な間違いを犯してしまうと考えられていたんだよね。
間違いを犯して、それが重なると、他人に迷惑をかけてしまう罪人になってしまうから。
そして、
生命力が枯れた『穢れ』は死につながるものとして、忌み、嫌われていたんだ。
なので、御朱印の売買行為を悪い事として捉えた場合、その行為は穢れている。
ってことは、その御朱印は死につながる御朱印なのかも・・。
まぁ、あくまでは売買している御朱印を悪いこととして捉えた場合だけどね。
ただ、そもそも神道では罪を犯すことを好む人間はいないとする考えなんだ。
『えっ、
そんなことしちゃう人いるんですか?
ええー、びっくり。
僕なら考えもしない、そんなこと。』
って、こと。
神道では罪人は気が枯れて、気の毒な人として見られるそうだよ。
なので、神道の見地からすると、
今回の御朱印の売買行為は
『ええっ!!御朱印売っちゃうの!?
ええっ!!御朱印、買っちゃうの!?
そんな人いるんだ、ビックリ・・。
ああ、なんて可哀想な人だ・・。』
という、見方ができるわけだね。
ちなみに、
穢れを清めることを『祓い(はらい)』というよね。
祓いは自分の心を清める行為のこと。
祓いはたとえ罪を犯しても水で身体を清め、二度と罪を犯さないことを誓うことによって、罪、穢れが祓われるんだ。
神道では心から反省をしたものをさらに責めるようなことはしない。自らすすんで祓いを行ったものを許すべきとしているんだね。
ああ、慈悲深い。
まぁ、今回、御朱印を売買した人は、こんな騒ぎになるとは思ってもいなかっただろうね。
色々騒がれて、なんとなくその人自身、罪悪感みたいなものを感じたら、その人の行為は穢れになってしまう。
なので、反省をしつつ、神社へお祓いに行くことをおすすめするね。そうすれば、神様は許してくれるから。
ま、御朱印を売買する人を、悪いことと判断する人は、
売買する人を非難せずに、
『あらら、可哀想な人だね。』
という風に見るのが、良いのかもしれないね。
そんじゃま、今日はこの辺で。
ごきげんよ〜。
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